呆れ霹靂の日記

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 「正解するカド」12話感想 多重の仕掛けで顔が歪むザシュニナ!如何様にも解釈でき最後まで面白かった!!(画像、最終回) : ポンポコにゅーす

59: ポンポコ名無しさん 2017/06/30(金) 23:35:47.45
異方存在は、メタ的に言えばそもそもアニメで表現可能なキャラクターなわけで 
そんなもん超越者でもなんでもない 
「途中にすぎない」と断じられて消されるのは、むしろ必然
 
 
これである。今からする話には不確かな例示が多い。僕個人の感覚としての比喩なのでまあ大目に見て欲しい。(そもそも例示自体が不確かなものが多いので、まあ。)
結論から言えば、面白いし作り込まれてはいると思ったが、好きではない。角は解という字の途中であるとか、花森はユキカ(沙羅花から取ったとしたら花という漢字になる)を守るで花森とか、その辺の作り込みはかなり好きだ。最後の展開や演出自体も好きではある。
しかし、ザシュニナの描き方がなあ……雑というかなんというか、倒すために無理矢理悪っぽい(というかガキっぽい?)考え方をさせられているという感じがする。
僕がこれを見て思い出したのはサイコパス(特に、1期最後の方と2期)のシビュラである。あれもシビュラを倒す人間という構造にするために無理矢理、シビュラをアホにしてたという印象を受けた(上にあるようにメタ的な視点で言えば脚本家が論破できるような悪に設定しておかなければ物語として収拾がつかなくなるのでしょうがないと言えばしょうがないのだが)。槙島と狡噛のプレイヤー間勝負みたいなのは面白いけどシビュラという審判を言いくるめるという展開はどうも微妙な気がした(もちろんシビュラは人間の集合体に過ぎない部分もあるので完璧な存在ではないかもしれないが常守が思いつくことさえも思いつかない無能とは思えないし)。最後の展開はまどマギとも若干似てると思ったが、まあQB自体あの世界ではプレーヤー寄りだったので(原理を利用してる奴を倒しただけで原理自体は倒してないイメージ)まあ感覚としては違うかな。
逆に上位存在の扱いが上手いな、と僕が思うのは「ぼくらの」である(特に原作)。説明するとネタバレ&長くなってしまうので各自で読んでみてください。この辺は僕が微妙に運命論者寄りであることが影響しているのかもしれないのでまあ人それぞれということになりそうだが。